2010/01/01

題「論文の性質について」

*今日は、年末ということで、夜に花火があるらしいので、いつもの更新はお休みします。代わりに、論文について考察したこと、及びそこから派生した駄文を良かったら、お読み下さい。

今、現在、ある問題に直面している。

それは、論文を書くにあたって、旅での出来事に関連して論文を書くのか、受験を目的にして論文を書くのか。

そのどちらのスタイルで書くべきなのか、あるいは、論文の執筆自体を辞めるべきなのか。

そもそも論文を書こうとしたきっかけは、大学受験をするために、必要だと思ったからだ。

当初、旅を始めたばかりの頃は、そもそも大学に入学すること自体、意味のないことだと考えていた。

だから、論文には、旅の楽しさもあって、一切、手をつけていなかった。

それが、外交官になるという目的が出来たことにより、グンと現実味が増した。

そこで最近、やっと真面目に、論文に取り組むことになった次第だが、上記のように、迷いだした。

そこには、幾つかの理由が存在するが、一番大きな理由は、旅をしながら最大限、受験を目的に書いたとして、果たして、現役の受験生に勝てるのかという疑問だ。

もちろん、初めから負けていると思っていては、勝てるものも勝てないので、そこまで弱気ではないし、こちとら、現役よりも+1年分の世界経験とさらに、それ以外にも普通の学生とは、一線を画した、類まれな経験をしているので、劣っているという自負はない。(果たして、それが大学の要求する能力かどうかは定かではない。)

しかし、効率の面で問題があることは否めない。

「旅しながら、受験勉強してます。」

なんて、まるで記念受験どころかお遊びと言われかねない。
私自身が経験した高校受験は、それはもう壮絶なもので、とてもじゃないが、旅しながら合格するなんて、考えられない。

要するに、何が言いたいかと言うと、受験するならするで、受験のみ集中して、その他一切は、排除するのが正道なのではないかということだ。

本気で、合格したいならこれが一番、効率が良いはずだ。

しかしだからといって、旅を辞めるわけには行かない。いくら、目的があるとはいえ、一度決めたことを、最後まで貫けないようなら、今後、何をやっても成功するはずなどないからだ。

しかし、あくまで、正道は正道。邪道だからと言って、不合格になるとは言えないと思う。

なぜなら、私が受験する試験方式が少々、特殊なタイプのものだからだ。

いわゆるAO入試。頭文字を取って、アホでもオーケー入試などとしばしば揶揄される試験方式だ。

ちなみに、本当は、アドミッション・オフィス入試という。言葉の意味は・・・シラネ。ただ元となっている言葉は生徒像(アドミッションポリシー)から来ている。

要は、大学が求める生徒像に照らし合わせて、合否を決める入試方式ということだ。

基本的には、面接と入試で構成されており、そこに様々な付加条件を付け足す大学もある。

そして、俺が受験しようとしている大学は、その付加条件を付け足した大学だ。

その条件とは、面接及び入試は、すべて英語で行われるというものだ。なかなかめんどくさい条件だと思う。

いずれにしても、受験の条件さえ満たして、日本語が出来るだけで、合格の可能性があるという何とも、楽チンありがたい制度なのだ。

ただ、もちろん、ピンキリなので、レベルの高い大学では、それ相応の人間性や高い日本語能力などが問われることは、自明の理であろう。

ふう、とりあえず、AO入試についてはお分かりいただけただろうか?

とにかく、現状、旅をしながら大学に合格出来る可能性は、今のところAO入試にしか見いだせないわけだ。

しかし、話は戻るが、それでも狭き門なわけである。

取れる選択肢は、2つ。

受験のことは忘れて、純粋に旅をするか、受験勉強しながら旅をするか。

う~ん、俺の根本的な考えにこういうのがある。

不確実な未来に自分を投げ出すくらいなら、目の前の現実に手を伸ばす。

とね。

そんなわけで、貴重な旅の時間の一つに、論文制作という項目を据え置いているわけだ。

旅は、確かに楽しい。何が楽しいって、観光したり、誰かとお喋りしたり、美味いもん食べたりと色々だ。

ただこれって、いわゆる大学で行われているカタルシス的な行動の一つなんじゃないの?

と考えてしまう。

つまり、人間的に成長してないんじゃないの?という疑問が尽きない。

そりゃあ、

「JOY(俺)君、世界一周とかすげえな」

って言われるのは、気持ちイイけど、俺は、正直、旅してる事自体が、すごいんじゃなくて、旅をして、何をするかどうかで凄いかどうか問われるべきなんじゃないかって思う。

もちろん、誰にでも出来ることではないと思うけど、それはあくまで単に、時間と金がないってだけで、あればみんなやってると思う。

要するに、受験勉強の先には、旅をして得られる「何か」よりも確実性の高い未来が待っているというわけだ。

誰だって、先が分からないのは、怖いだろ。

だから、旅をしながら受験勉強します!!

・・・ってなると、旅の出来事に関連して、論文書くよりも、受験のために論文書いた方が、効率が良いに決まってるじゃん・・・

じゃあ、結論は、旅をしながら、受験のために論文を書きます。

ってことになるけど、う~ん、何か納得出来ない。

ああ、そうか。なぜ俺は、受験を急がなければならないんだ?

急がなきゃならない理由って何か、あったか?

だって、ちょっと待ってよ。

旅に出た。

目的が出来た。

目的の為に、大学に入ろう。

じゃあ、受験勉強しなきゃ。

でも、旅は辞められない。

じゃあ、旅しながら受験勉強しなきゃ。

うん、なんかおかしい。やっぱりおかしい。

だってさ、俺の旅って、受験しながら行く旅だっけ?そんな理由で、旅始めたっけ?

確かに、俺の旅は、傍から見れば、適当かもしれない。

でも、でも、何か、おかしい。ああ、クソ分からん。
論理的な説明が見つからない。

う~ん、旅と受験勉強は分けるべきか・・・

う~ん、就職しなきゃいけない、金も稼がなきゃいけない。言いたくないが、自分の為はもちろん、世話になった人に金を返したい。

だけど、急ぐ理由にはならない。世話になった人たちは、存命してるし、生活にも困ってない。

俺の目的には、他人のことも含めて、色々なことが叶えられる素晴らしい目的だと思っている。

ああ、そうだな。分かったぞ。

俺は、もっと色んな事がしてみたいんだ。だから、即座に手堅い未来を選んだ事をつまらないと感じているんだ。

そうだ。俺はもっともっとやりたい事があるし、見たいものがある。

でも、明確な目的を決めてしまったら、それら一切の可能性を捨てることになってしまうんだ。

だから、俺は、違和感を感じていたんだ。

何も決めてないからこそ、不安で、でも、だからこそ俺は自由なんだ。

でも、現実は、決断しないことを許さない。だから、迷う。

なるほどな~。

・・・いや、で、どうすんだよ、俺ww

よし、こうするか。

確かに、旅は貴重で旅でしか得られないものもあるかもしれない。

でも、だからと言って、人生がそれだけで成り立つわけではない。己の目的や生きるために、やらなければいけないことがある。

だから、その為の、努力は続けたいし、続けなければいけない気がする。

だとすれば、俺はやはりどちらも取る。

今まで通り、旅も続けるし、受験の為に、論文も書くとしよう。

まあ、朝の時間を使って、勉強してるだけだし、旅の矜持は失われないだろう。

他に、やりたいことも出来る時間もちゃんと取っている。

うん、問題はない。・・・はずww

あと、もし、これを読まれた方がいたら是非、意見が聞きたいです。

質問は、旅をしながら、受験勉強することは、是か否か?です。

もし宜しければお答え下さい。

それでは、今日はこの辺で。長文、乱調スマソ。

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