最早、世界一周の旅のことなど一体何時だったことやらと思い返すこともめっきり無くなってたりします。
そんな折、ふと気づいたことを書こうと思います。
ちなみに、近況はと言うとオーストラリアの学校で元気に勉強してます。
まあ、今は休暇中なので若干暇だからこうして昔のブログも更新できているという次第です。
それで気づいたことというのは、大したことではないのですが、周りの人に世界一周した理由を時々聞かれるのですが、 その答えは
「長きにわたる今後の人生において、幅広い見識を深めることは知識の幅を広げ、より多くの選択肢を与えてくれるから」
と、何やら上品ぶった答えを時にソフトに、時に哲学ちっくに答えたりしています。
でもな。こんなんぶっちゃけ前付であり後付の理由なんだよね。
例えるなら答えありきの問題用紙。あるいは、クイズ番組におけるミスディレクション。
要は、ガッチガチの理詰めで計算されつくされた対人用の答えってことです。
結局は、
「やりたかったからやった!」
なんですよね。・・・あれ意外とこっちの方がよく言ってるような。
なんだろう。無意識下で話を上手くまとめようという心理でも働いたのかしら。
何はともあれ、人間半強制的にやらされることなんざ、持ち前の能力の10分の1も捻りだそうとはしないってことだな。
ところで皆も後悔のないようにやりたいようにやれよ!人生は一度きりなんだから!とかしたり顔で説教するの俺、嫌いなんです。
これでも後悔してる部分なんていくらでもあるし、これが10年20年後ともなって大した人物にでもなってなければあの時あんな事しなければ俺は・・・みたいなことも思うかもしれませんからね。
まあ、でもその辺に関して言えばこの経験を上手く使えば間違い無く10年20年後は同期の何歩も先に行く自信・・・というより半ば確信に近い直感があります。
そんな俺のモットーは、
「重大な決断こそ直感で処理し、決断した後は冷静に計画を組み上げること。」
父に言わせると、
「構想は楽観的に、計画は悲観的に。」
というか確か京セラの稲森さんの言葉だった気がします。
ちなみに、旅時代の感覚が染み付いているせいか、私の言葉の後者はまったくぐだぐだです。
少しはカッコイイ大学生になるために冷静に計画を立て実行できる男になりたいです。
つーか、なる。ならなきゃ。
さて、なぜこんな話を今回したかというと実は今、長すぎる休みのせいで手持ち無沙汰すぎるせいかちょっと混乱しています。
なのでちょっと原点に立ち返ろうかなと思いました。
まあ、お話は以上です。
機会があれば周りの友人の人生哲学も聞いてみたいところです。
ずばりテーマは「自己を律するにはどうすべきか」です。
あ~、何かまたこいつめんどくせえ事考えてんなって思われてそうだわ(笑)
それでは、皆さん失礼します。
あと明けましておめでとうございます。
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